おはようございます!
半年ほど前に購入し一度完読した本
「やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド」を
再度はじめから読むことにしました。
とても奥深いヨガの哲学の本なので
日によっては1日1ページを読むのでやっとな日もありますが
無性に読みたくて仕方がない日もあり、そんな日は何時間もじっくりとヨガ哲学の世界を楽しんでいます。
ウパニシャッドでは
物事には必ず原因と結果があるとしています。
トウモロコシの種を蒔き、そこに豊かな土と太陽の光、水があるからトウモロコシの実がなるように
望まない結果が訪れてもそれは自分で蒔いた種という考え方です。
この考え方は人によってはとても厳しい考え方なので
受け取れないと思われる方もいらっしゃると思います。
そういう方は無理せずご自身の信じられるものを信じられてくださいね。
この考え方がベースにあると
問題が起きたときに他人や環境や世間のせいにはしなくなります。
何かのせいにせずに
問題をとおして自分と向き合うとより多くの学びが得られます。
必ず物事には原因と結果があるのだけれど
目指すところはその結果を「自分の望み通りにすること」ではないのがウパニシャッド哲学の面白いところです。
では何を目指すのか?
目指すところは「その結果を求めないこと」
インド哲学では
自分の望みを追い求めると
その思いに囚われてしまうといいます。
現在の風潮とは全く違った視点ですよね。
わたしたちは普段目標に向かって努力をし、望む結果を手に入れることが
正解という世界で生きているように思います。
だから試合に勝つために日々鍛錬するスポーツ選手は憧れの存在だし
大きな家やスポーツカーを所有する富豪は夢を叶えた英雄のような存在として
目にうつります。
だけどインド哲学では
何かのために何かをするようでは自由になれないぞ!というのです。
長年目標達成を正解とする世界でどっぷり暮らしてきた私には
「結果を期待せずに行動をする」ということがとても難しく感じられました。
結果のためでないなら何を指針に行動をするのか?と思いますよね。
行動指針はアートマンと言われる内なる本来の自分です。
”結果に囚われず本来の自分になれ
そうすれば自由になれるよ”
日々の自分の行動が
結果を求めての行動なのか?
本来の自分ための行動なのか?
考えさせられる奥深い話です。