毎日瞑想をするようになり約500日が経ちました!
最初の頃は「よし、瞑想するぞ!」と身構えてやっていた瞑想が、今では生活の一部に溶け込んでいて
「ん?今日瞑想したっけ?」と瞑想したことを忘れるほどに。
最初のころのように、
心が落ち着いたり、思考が整理されたり、癒された感覚や安心感といった
瞑想の効果も相変わらず感じることは感じるのだけど、
それが当たり前になってきていて日常になっているような感じです。
500日という節目を迎えて
今の自分にとって瞑想の時間とは何なのか??
を改めて考えてみました。
今の私にとって瞑想の時間は
ひとことでいうと、
「立ち止まって空を見上げているような時間です。」
私の普段の日常はいつも歩いていたり、走っていたり、移動し続けているように思います。
実際に体を動かしているということだけではなく、体は休んでいる時も頭の中の思考や心の感情は常に動いています。
外界のちょっとした刺激で反射的に欲が出てくるし(それはもうこれは光のスピードなのではないかと思うくらい早い早いスピードで。⚡️笑)
その後はその欲に対して、これは良い!とか悪い!とか思考があれこれジャッジを始めます。まるで私の中に裁判官がいて長い長い裁判を続けているかのよう。
日常生活を送るためには、日常の雑多なことをこなす必要もありタスクをしているうちに
そのタスクをこなすことに夢中になり、
うまくいけば得意になり👺
うまくいかない時は、もがいたり悩んだり。🌀
そんな騒がしい日常の中でふと足を止めて
空を見上げてみるような時間が今の私にとっての瞑想の時間です。
ふと立ち止まって空を見上げてみたら
雲がゆったり流れて
太陽がいつもそこにあって
高い高い青い空が広がっていて
あー、私
小さなことでせかせかと生きてたなぁ。
と感じる。
視点が変わったような
世界が広がったような
いつもあったけど見えていなかったものに気がつくような時間
曇り空でも
雨の空でも
夜空でも
どんな空でもそれぞれに美しさがあって
大きな自然の摂理に沿って
1秒ごとに美しさを変える
「人が変化を変化として認識できるのは自分の中に不変の存在があるからだ」という。
空の変化を眺め
自分の中の不変の存在を感じる。
立ち止まることはムダだという人もいると思う。
そう思う人は立ち止まらずにずっと前へ前へと進んで行ったらいい。立ち止まらないからこそ見える景色もあるのだと思う。
でも私は立ち止まって空を見上げる時間を
これからも作っていきたいなと思う。
また1000日経過頃に
その時の自分にとって瞑想とは何か?を改めて考えてみよう。
まったく違うものになっていたりするのかな😆